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小倉陸軍造兵廠

 小倉は明治時代から昭和20年まで、陸軍の部隊や兵器工場があった軍都でした。特に造兵廠と呼ばれていた兵器工場は現在の市役所から、木町まで広がるとても大きな工場でした。
 そのため、小倉陸軍造兵廠は1945年(昭和20年)8月9日には原子爆弾の第一投下目標にされました。 しかし前日の八幡大空襲の煙と曇り空のため、造兵廠が確認できず、原子爆弾は長崎に投下されました。
 現在勝山公園の中には原爆犠牲者を悼んで作られた、長崎・平和の鐘があります。

造兵廠の広さ

 小倉に作られた造兵廠は、とても広い工場でした。面積は約58万3千平方メートル。これは福岡ドームの約8個分にあたります。 この工場では、約4万人の人が働いていました。

小倉陸軍造兵廠の敷地全体画像
小倉陸軍造兵廠の敷地

小倉への造兵廠移転

造兵廠で働く女学生

 1923年(大正12年)、関東大震災によって東京・小石川にあった兵器工場が大被害を受け、1927年(昭和2年)に小倉へ造兵廠移転が決定し、 1933年(昭和8年)に小倉兵器製造所との合併、陸軍造兵廠小倉工廠が開設されました。
 当時、この工場で何が作られるのかはまったく話題にならず、その後1940年(昭和15年)に小倉陸軍造兵廠と名前を変えました。
 この兵器工場は、1945年(昭和20年)までの約12年間使われ、戦争も終わりごろになると学徒動員といって、大人だけでなく中学生や女学生も工場で働いていました。 1944年(昭和19年)からは「風船爆弾」という爆弾も作られていました。

このページの作成者

小倉北区役所総務企画課
〒803-8510 北九州市小倉北区大手町1番1号
電話:093-582-3339 FAX:093-581-5496

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