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新門司地域の見どころ

雄大な海と山の自然に恵まれた新門司地域には、九州最古の灯台「部埼灯台」、航海の安全を見守る「僧清虚の像」、石原宗祐が私財を投じて干拓と新田開発に身を捧げた「猿喰新田・汐抜き穴」など由緒ある名所・旧跡が数多くあります。

部埼(へさき)灯台

部埼灯台の写真

日本の灯台50選にも選ばれ、近代化産業遺産の一つです。
一日に千隻以上の船が出入りするといわれる関門海峡の、東の玄関口に当たるこの灯台は、慶應3年(1867)4月、江戸幕府が兵庫開港に備えて英国公使と約定した五灯台(友ケ島、江埼、和田岬、六連島、部埼)の一つでした。
英国人技師 R・H・ブラントン設計によって建設された重厚な石造りの灯台で、明治5年(1872)1月22日に初点灯、昭和56年(1981)10月に無人化されました。
現存する灯台としては九州で最古の灯台です。

※平成29年12月1日~30年2月末日の間、土砂くずれの修復工事のため灯台付近への立ち入りが禁止されています。ご注意ください。

僧清虚(そうせいきょ)の像

僧清虚の像の写真

天保7年(1836)大分県国見町出身の僧 「清虚」は、高野山へ修道に向かう船中、部埼周辺の海が暗礁が多く航海の難所となっていることを知り、「何とか多くの命を救おう」と、下船してこの地で船の道標となる火を焚き続けることを決意しました。
清虚は日中に托鉢で得た糧を焚料の買い入れにあて、一日一食の生活を続け、74歳で亡くなるまでの13年間、雨の日も風の日も、読経とともに火を焚き続けたのです。 その後、部埼灯台が建設されるまで、清虚の偉業は村人により引き継がれました。
昭和48年(1973)には、地元有志により、灯台の袂、僧清虚の像が青浜海岸に建立され、航海の安全を見守っています。
また、灯台後方の山頂付近にあった清虚の火焚場は大雨により失われていましたが、平成20年、清虚が松明を灯し始めてから170周年を記念して、「僧清虚顕彰会」により復元されました。

水天宮(すいてんぐう)

1185年、壇ノ浦の戦いで平教経(たいらののりつね)の奥方「海御前」(あまごぜ)は敵将を切り捨て安徳天皇の後を追い海に身を投げました。その遺体は大積(おおつみ)の浜に漂着し、里人が手厚く葬り、「水天宮」として祀ったのがいわれで、境内には「海御前の碑」が建てられています。 壇ノ浦の合戦に破れた平家の武士は「平家カニ」に、女官は「河童」に化身し、海御前は河童の総帥になったと言われています。

大積(おおつみ)天疫神社

大積神楽の写真
大積神楽

元の 「大積天疫神社」の創建については不明ですが、「丸山城主、大積上聰介隆鎮(おおつみかずさのすけたかしげ)の守で、世に大積殿と称した。落城後、大積村人の尊崇厚く、正保3年(1647)今の社地に移し、大積村鎮守社とした」と「大積村志」に記してあります。
毎年11月3日夜、「大積神楽」が行われます。「大積神楽」は市の指定無形民俗文化財にも指定されており、大積・天疫神社の秋の祭礼に奉納される神楽です。現在の「大積神楽」は、大正10年頃、氏子が福岡県築城町の赤幡神楽(あかはたかぐら)から習得し復活したものです。かつては神楽本来の形式である33番の演目を持っていましたが、現在は「米撒き、折居、御福」の舞神楽、「地割、御先、四方鬼、岩戸神楽」の面神楽の7番のみを演じています。

石原宗祐頌徳碑(いしはらそうゆうしょうとくひ)

石原宗祐の写真

江戸時代中期(1757~1759年)、大里村の庄屋であった「石原宗祐(いしはらそうゆう)」は、飢饉に苦しむ農民を救うため、私財を投入して干拓事業を行い、約33ヘクタールに及ぶ猿喰新田(さるはみしんでん)を開作し、その後、曽根新田の干拓事業も行いました。
なかでも新田の塩気をぬいたり、川や用水路の水を海に流すために利用したという「汐ぬき穴」を造るために一年もの歳月を要したと言われています。「汐ぬき穴」や「ていぼう」などは当時の土木技術を示す遺構として貴重なものです。
県立門司学園高等学校の横には、宗祐の偉業を称えた頌徳碑が建てられています。

猿喰新田(さるはみしんでん)汐抜き穴

汐抜き穴の写真

猿喰新田の中央には灌漑用水路である中川が流れており、海への排水用の暗渠が湾の両端に2基ずつ築かれました。これが「汐ぬき穴」と呼ばれている樋門で、海水を新田に流れ込まさず、河川の流れを海へ流す役目をしました。汐抜き穴は堤防も含めて2年間をかけて整備され、当時設置された4箇所のうちの2箇所が現在も残っています。

龍福山玉泉寺(りゅうふくざんぎょくせんじ)

文明年間に能山禅師「聚藝」が、諸国巡錫の途中に立寄り、仏法にふさわしい寺院として創建しました。節分の豆まき発祥の地として「せっぷん」という民話が伝えられています。

恒見(つねみ)八幡神社

天長元年(824)豊前国恒見城主 安芸入道平道金候が武運長久を祈念して自らが祭主となり、宇佐八幡宮から御分霊を勧請し祀りました。
本殿の左右の棟柱は2人の力神様(リキリン)が支えています。このリキリンは地区に伝わる民話「ケンとリキリン」に登場し親しまれています。

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