出生時に戸籍に割り当てられた性別と、自分が認識する性別が一致しないため、
社会生活に支障を来す性同一性障害。
自分自身の体に対する違和感や苦痛に加え、周囲からの差別や偏見にも苦しめられ、
自殺を考えるほど悩む人が少なくありません。
東京に住む山本蘭(やまもとらん)さんは、1957年生まれの57歳。
男性の体に生まれましたが、物心ついたときから自分の性別に違和感を覚えていました。
妹と同じように女の子らしい格好をしたいと訴えても、
両親は取り合ってくれません。
性同一性障害という言葉もない時代のことです。
誰にも理解してもらえない中、小学校には黒でも赤でもなく黄色のランドセルで通いました。
中学校は頭を丸刈りにしなくてよい学校に進み、
就職先は服装や髪型が自由な広告会社を選ぶなど、
男という性別に精いっぱいの抵抗をしながら生きてきました。
しかし40歳を過ぎたころから、
髪やひげ、体臭などに中年男性の特性が表れ始め、さらに山本さんを苦しめます。
ちょうどそのころ、埼玉(さいたま)医科大学で日本初の性別適合手術が始まります。
山本さんも手術を受け、46歳にしてようやく心と体の性が一致しました。
「やっと解放されたというか、ホッとしました」と、当時の心境を振り返る山本さん。
今は心身共に女性として生きていますが、家族の理解はいまだ得られていません。
性同一性障害の人たちが差別や不利益を受けずに普通に暮らせる社会にしようと、
山本さんは11年前に支援団体を立ち上げ、当事者の相談に乗ったり、
講演会を開いたり、国や自治体に働き掛けたりして、幅広い活動に取り組んでいます。
山本さんは言います。
「私たちは、特別なことを望んでいるのではありません。
一人の女性として、あるいは男性として、ただ普通に生きたいだけなのです」と。
最近は、性同一性障害という言葉が広く知られるようになりました。
でも、まだ十分ではありません。
当事者だけが頑張っても、なかなか状況は変わらないのです。
「自認する性別で社会に受け入れられ、一人の人間として社会貢献できるよう、
私たちも精いっぱいの努力をするので、皆さんにも受け入れる努力をしてもらえたら…」。
それが、山本さんの切なる願いです。
では、また。
社会生活に支障を来す性同一性障害。
自分自身の体に対する違和感や苦痛に加え、周囲からの差別や偏見にも苦しめられ、
自殺を考えるほど悩む人が少なくありません。
東京に住む山本蘭(やまもとらん)さんは、1957年生まれの57歳。
男性の体に生まれましたが、物心ついたときから自分の性別に違和感を覚えていました。
妹と同じように女の子らしい格好をしたいと訴えても、
両親は取り合ってくれません。
性同一性障害という言葉もない時代のことです。
誰にも理解してもらえない中、小学校には黒でも赤でもなく黄色のランドセルで通いました。
中学校は頭を丸刈りにしなくてよい学校に進み、
就職先は服装や髪型が自由な広告会社を選ぶなど、
男という性別に精いっぱいの抵抗をしながら生きてきました。
しかし40歳を過ぎたころから、
髪やひげ、体臭などに中年男性の特性が表れ始め、さらに山本さんを苦しめます。
ちょうどそのころ、埼玉(さいたま)医科大学で日本初の性別適合手術が始まります。
山本さんも手術を受け、46歳にしてようやく心と体の性が一致しました。
「やっと解放されたというか、ホッとしました」と、当時の心境を振り返る山本さん。
今は心身共に女性として生きていますが、家族の理解はいまだ得られていません。
性同一性障害の人たちが差別や不利益を受けずに普通に暮らせる社会にしようと、
山本さんは11年前に支援団体を立ち上げ、当事者の相談に乗ったり、
講演会を開いたり、国や自治体に働き掛けたりして、幅広い活動に取り組んでいます。
山本さんは言います。
「私たちは、特別なことを望んでいるのではありません。
一人の女性として、あるいは男性として、ただ普通に生きたいだけなのです」と。
最近は、性同一性障害という言葉が広く知られるようになりました。
でも、まだ十分ではありません。
当事者だけが頑張っても、なかなか状況は変わらないのです。
「自認する性別で社会に受け入れられ、一人の人間として社会貢献できるよう、
私たちも精いっぱいの努力をするので、皆さんにも受け入れる努力をしてもらえたら…」。
それが、山本さんの切なる願いです。
では、また。