人権を考える5分間のラジオ番組「明日への伝言板」

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  • 2015年10月21日(水)放送

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比べない幸せ
童謡詩人・金子みすゞの詩を力強い筆遣いで表現した作品や、ニューヨークでの個展開催が話題になっている金澤翔子さん。今日は、ダウン症の書家として知られる翔子さんと、彼女を書道へと導いた母・泰子さんのお話です。

翔子さんは、生後五十二日でダウン症と診断されました。母の泰子さんは「今日、私は世界で一番悲しい母親だろう。」とその日の日記につづっています。一生、誰かに支えてもらわなければ生活できない娘の未来に、当時の泰子さんは希望を見いだすことができませんでした。
小学校では何をしても最下位。でも、一〇〇メートル走でラストのテープを切ってニコニコしている娘を見て、泰子さんは「ビリをちゃんとやるのが、この子の役目なんだ。」と、ありのままの翔子さんを認める決心をします。
「親子で苦しんできたと思っていたけれど、翔子はダウン症で 生まれた自分を不幸だなんて思っていない。もがいていたのは親の私だけ。他の誰かと比べなければ、翔子は障害者じゃないんです。」
と、泰子さんは語ります。
変化のきっかけは、泰子さんの手ほどきで五歳から続けていた書道でした。一度限りのつもりで開いた個展が話題になり、各地から個展を開く話が次々に舞い込んできたのです。個展では、翔子さんの作品の前で涙を流す人もいました。書道歴五十年の泰子さんは、
「書けば私の方がうまいかもしれないけれど、私の作品ではそこまで感動はしてもらえません。」
と笑います。翔子さんの書には、人の心を動かす力がありました。
二〇一四年、北九州市で開かれた講演会で、泰子さんは、今の自分たちがどれだけ幸せかをこんなふうに語りました。
「翔子に『お母様、幸せ?』『お母様、楽しい?』と聞かれて、二十六年たって紆余曲折あって、『日本一幸せだよ。』って言えたんですね。」
と。自らを「世界で一番悲しい母親」と記した日記からは考えられないことです。
「生きてさえいれば、絶望がない。」
泰子さんは講演会の最後を、自ら実感したそんな言葉で締めくくりました。

人は、幸せへとつながるそれぞれの可能性を持っています。一人一人の違いが、個性として尊重される社会をつくっていけたらいいですね。
では、また。