人権を考える5分間のラジオ番組「明日への伝言板」

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  • 2015年10月23日(金)放送

テーマ / 北朝鮮当局による人権侵害問題 ジャンル検索

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北朝鮮に拉致された妹
今日は、北朝鮮による拉致被害者家族会代表・飯塚繁雄さんのお話を紹介します。「拉致は人権蹂躙の最たるものです。」と、北九州市で行われた講演で飯塚さんは力を込めて訴えました。

飯塚さんの十七歳年下の妹、当時二十二歳の田口八重子さんは一九七八年、東京・池袋で突然姿を消しました。三歳と一歳の子どもは保育施設に預けられたままでした。飯塚さんたちきょうだいは、何が何だか分からないまま、手分けして八重子さんの子どもを引き取り、実の子どもと区別なく育てることにしました。
それから九年後、大韓航空機が爆破され乗客全員が死亡する国際的テロ事件がありました。調べが進むうちに、かつて東京の池袋で突然姿を消した八重子さんが北朝鮮に拉致されていたことが明らかになりました。八重子さんは、テロ事件の実行犯、金賢姫の教育係にされていたのです。
「行方不明の妹が北朝鮮に?」飯塚さんは信じられませんでした。一方、八重子さんは北朝鮮に連れて来られた直後、子どもを思っていつも泣いていた、という話も伝わってきました。
八重子さんの息子の耕一郎さんは、育ての親である飯塚さん夫婦を「おやじ」「お母ちゃん」と呼びます。でも、産みの母のことは「田口八重子さん」です。耕一郎さんが八重子さんを「お母さん」と呼べるのは、彼女が帰国して飛行機のタラップの下で抱き合った時になるのだろうと、飯塚さんはその日が一刻も早く訪れることを願っています。
一九七〇年から八〇年ごろにかけて多発した北朝鮮による日本人拉致については、現在、十七人が政府によって拉致被害者として認定されています。二〇〇二年に北朝鮮は日本人拉致を認め、五人の帰国が実現しましたが、残りの被害者については、いまだ納得のいく説明はありません。

今回、「明日への伝言板」のために、飯塚さんからメッセージをいただきました。どうぞお聴きください。
「多くの拉致被害者は数十年もの間、人生の大切な時間を奪われ、今も日本からの助けを待ち続け、じっと耐え続けています。待っている家族も忍耐の限界を超えています。リスナーの皆さん、日本国民として怒りの声と共に、政府へ早期解決への強い要請と、世論の盛り上げをお願いします。」
では、また。