人権を考える5分間のラジオ番組「明日への伝言板」

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  • 2016年11月09日(水)放送

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障害から知った人権
 今日は、北九州市教育委員会が平成二十七年度に募集した人権作品の中から、北九州市戸畑区の中学一年生、濵福悠斗さんの作文を紹介します。題は『障害から知った人権』です。この作文は一部省略して朗読しています。

 僕は母と祖母と一緒に外出しました。外出先で車を止めるときに困ったことが何度もあります。障害者用駐車場が満車だったため、待つことにしました。祖母は脳梗塞で左半身にまひが残り、車いす生活でした。そこに戻ってきたのは、健康的な若い人でした。そのとき、僕は障害者用駐車場の必要性を考え、健康な人が「障害者優先」と書かれた場所を気軽に利用すべきではないと思いました。
 祖母との外出はいろいろなことが大変でした。車いすでは、少しの段差も大きな障害となります。トイレの広さやエレベーターのボタンの位置、店の道の広さ、そして、買い物をするときにも欲しい物が取れなかったり、レジに並べなかったり。それらの不便を僕と母でサポートをして、何とか買い物ができました。
 僕は小学生のとき、人権について「人が人として生きるための権利」と学びました。年を取り、体が不自由になった祖母には、今までと同じように生活し、生きる権利があります。僕は、自分の権利を主張するだけでなく、周りの人の権利を守る手助けをすることも必要だと考えるようになりました。例えば、点字ブロック。盲導犬と白じょうを持った視覚障害者が点字ブロックの上を歩いていると自転車を止めていたり、歩道に車が止めてあったりして邪魔になります。少し気を付ければ防げることです。電車やバスには優先席、街には手すりやスロープ、音響信号、音声ガイドなど思いやりの設備はいろいろありますが、まだまだ不十分です。
 僕はこうした経験から、様々なハンデを乗り越えて生活している方々のことも考えるようになりました。障害のある方々も不便なことに対してサポートを受けられることが当然と思える世の中であってほしいと思います。

 いかがでしたか。私たちも悠斗さんのように、障害のある人の立場になって街を歩くと、いろんな気付きがあるでしょう。悠斗さんの言うように、自分の権利を主張するだけでなく周りの人の権利を守る手助けをすることも必要ですね。
 では、また。