人権を考える5分間のラジオ番組「明日への伝言板」

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  • 2017年10月17日(火)放送

テーマ / 難病に起因する人権問題 ジャンル検索

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難病を乗り越えて
 北九州市教育委員会の嘱託職員として働いている梅本遼さん。職場での様子を尋ねると、「仕事も増えて、忙しいですね。」という返事が返ってきました。何気ない一言ですが、そこには遼さんの深い思いが込められていたのです。

 遼さんが生まれたのは平成七年、夏のこと。しかし、遼さんはそのまま入院しなければなりませんでした。生後四カ月目にしてようやく判明した病名は、「魚鱗癬」。周りの誰もが初めて聞く病名でした。
 魚鱗癬とは、先天的な異常によって皮膚のバリア機能に障害があり、皮膚が魚の鱗のように厚く硬くなってはがれ落ちる難病です。根本的な治療法は見つかっておらず、飲み薬や塗り薬などを使って日々のケアを行う必要があります。現在は、指定難病に認定され、患者数は全国に二百人ほどです。
 遼さんは、この病気のため感染症にかかりやすく、体温調節も難しいことから、特別支援学校に通いましたが、大変だったのは高等部を卒業後。難病のため、なかなか就職先が見つかりませんでした。そして、ようやく採用されたのが現在の職場です。  
 面接の時、自分は魚鱗癬という病気で、定期的に病院やリハビリに通わないといけない、皮膚がはがれて落ちる、体温調節が難しいなど、病気のことをきちんと説明したという遼さん。そのため、職場のみんなは遼さんの病気のことを理解し、配慮してくれるので、とても働きやすいそうです。
 働き始めてからの遼さんは、母親の千鶴さんの目から見てもずいぶん変わりました。
「外に出ることで知識も友達も増え、何よりも自信につながったと思います。それが母親としては一番うれしいですね。たとえ難病でも、少しのケアと配慮をすれば普通に働ける人はいます。難病について知ると同時に、そのことを知ってほしいです。」
 今では、書類の作成や整理など任せてもらえる仕事も増えて、体調管理に一層気を付けているという遼さんは、明るくて前向きです。
「難病だから何もできないではなく、難病でもできることはあるはずです。病気だからといって、あきらめないでほしいです。」
 遼さんは今、働ける喜びを実感しながら、ドラム演奏という趣味も楽しんでいるそうですよ。
 では、また。