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石めぐりその2

石めぐり

戸畑にある「石」を探して・・

  • 万葉歌碑
  • 孝子・森惣一の碑
  • 天籟寺の六地蔵
  • 戸畑小学校発祥の地の碑
  • 若松水道碑
  • 外字「ば」島の記念碑
  • お汐井汲み場記念碑
  • 穴井太句碑
  • 宮田山トンネル
  • 大橋公園の石碑

万葉歌碑

万葉歌碑

「ほととぎす 飛幡の浦に しく浪の しばしば君を見むよしもがも」
 
 これは万葉集(12巻)に収められており、作者はわかりません。
 この歌が詠まれた奈良時代の戸畑の海岸は、「飛幡の浦」と呼ばれ、白砂に根上がり老松が群生する美しい浜辺でした。
 この碑は昭和11年、当時の戸畑公会堂の敷地内に建てられ、現在地には平成3年3月に移されました。

所在地:夜宮一丁目1番 夜宮公園内

孝子・森惣一之碑

孝子・森惣一之碑

  森惣市の祖父は休伯といい、孝養深いことで有名でした。父も親孝行でしたが、惣市も父母を喜ばせるのが自分の幸せというように大変親孝行でした。
このことが、当時の藩主黒田綱政の耳にはいり、「農民のかがみともなすべきものなり」と、元禄11年(1698年)7月26日、中原の新田三段を褒美として授かりました。
 明治30年4月15日、明治専門学校(現九州工大)前に、彼の石碑が建てられましたが、その後、中原神社に移されました。

所在地:中原神社境内

 [中原]一口メモ
  森家は代々占いを業としていました。天明5年(1785年)、京都の土御門家から筑前国中の陰陽道触頭役を仰付けられました。
中原が筑前藩の最北端でその鬼門に当たっていたことから、森家に鬼門祈祷を当たらせました。
 寛文4年(1664年)、中原村の全農民は、連判で今年はお米がよく獲れたので、年貢を一分増しにしてくださいと、黒田の殿様に申し出て、誉められました。当時の中原地方の民の実直さがうかがわれるお話です。

天籟寺の六地蔵

天籟寺の六地蔵

 バス停「天籟寺」のすぐ前に、6つのお地蔵さんが奉られています。
次のような言い伝えがあります。昔、このあたりに「天賀城」というお城があって、今から400年以上も前に、大友勢により、攻め落とされました。城のお姫様と腰元たち6人は必死に逃げましたが、ついにつかまり殺されてしまいました。後の人がこの悲劇の6人の霊をなぐさめるために、6体の地蔵をつくってお参りするようになりました。
 今では、子供の病気にききめがあるということで、多くの人がお参りしています。 

所在地:天籟寺二丁目3番

戸畑小学校発祥の地記念碑

戸畑小学校発祥の地記念碑

 照養寺というお寺の門の横に、「戸畑小学校発祥の地」という碑があります。
 戸畑小学校は戸畑村で初めての小学校で、明治7年に民家を借りて授業を開始し、2年後に照養寺の境内に河外字「ば」島の兵舎を移築し開校しました。
鐘つき堂があるところに、二つの木造校舎が建っていたそうです。70人ぐらいの子供たちが学び、遠くは中原や天籟寺からも通ってたそうです。

所在地:北鳥旗町6番

若松水道碑

若松水道碑

 都島展望公園のグランドの側に「若松水道碑」が建っています。明治45年に若松と戸畑を結ぶ上水道が敷設され、その記念に建てられました。
 記念碑には大変な大事業であった様子が書かれています。そして記念碑は工事中に出てきた古墳の天上石が使われています。

 所在地:都島展望公園(グランド横/階段を上がったところ)

外字島(中ノ島)記念石

 若戸大橋の戸畑側に河外字「ば」島(カバシマ・通称「中ノ島」)と呼ばれる周囲600メートルほどの小島がありました。
 戦国時代から城があったといわれ、慶長5年(1600年)には、黒田長政が端城を築きましたが、一国一城令により、元和元年(1615年)に取り壊されました。
 その後、文久3年(1863年)に砲台、明治になると造船所、貯炭場が設けられ、人家も66軒あり、はなやかな時代もありました。
 しかし、洞海湾の発展により、航海のじゃまになるというので島は切り取られ、昭和15年12月になくなりました。この石は河外字「ば」島にあったもので、この島を記念する唯一のものです。

所在地:戸畑図書館前

河と島(中ノ島)記念石

お汐井汲みの場記念碑

 「お汐井汲み」は戸畑祇園大山笠の大切な祭事で、東、西、天籟寺の山笠が渡し場で、山笠台の4本柱と関係者を清め、祭りの安全をお祈りします。
 「戸畑駅周辺地区整備計画」の中で、地元の皆さんの意見を取り入れ、「お汐井汲み」がおこなえるように階段護岸を配置し、平成13年5月13日、記念碑の除幕式がおこなわれました。

所在地:戸畑渡し場

お汐井汲みの場記念碑

穴井 太句碑

 「夕空の 雲のお化けへ はないちもんめ」

 句誌「天籟通信」を編集発行し、全国的にも名を知られた現代俳句作家、穴井太の俳句です。
 「帰らざる者らあつまり夕空焚く」この句といっしょに作られました。
 平成11年12月19日除幕式がおこなわれました。

所在地:なんじゃもんじゃ通り

穴井太句碑

 一口メモ:
  穴井太は1925年12月28日大分県九重町に生まれ、2歳より戸畑で育ちました。戦後の一時期、故郷に帰りましたが、中央大専門部を卒業後、北九州市で中学教師として再出発しました。横山白紅主宰の俳誌「自鳴鐘」に参加、56年に「未来派」を創刊、62年に現代俳句協会に入会、65年から「天籟通信」を創刊、71年に(深い俳句を目指し)自宅で自由闊達な「天籟塾」を始めました。
 74年に現代俳句協会賞受賞
句集「鶏と鳩と夕焼けと」「土語」「ゆうひ領」「天籟雑唱」「原」卿樹林」などの作品があります。

新日鉄くろがね線のトンネル

 戸畑には新日鉄が八幡工場と戸畑工場を結ぶため建設した新日鉄専用の鉄道があります。昭和2年から建設が始まって、昭和5年2月に開通しました。
この宮田山トンネル(全長1200m)工事は断層と湧水のため難航し、主として人力による掘削が昼夜をかけて進められました。戸畑側の入り口はローマ時代の城壁のように、花崗岩を積み上げて作られています。八幡側はルネッサンス様式になっているそうです。
尼堤橋から撮影

新日鉄くろがね線トンネル

 大橋公園の石碑

 若戸大橋ができたのは、昭和37年9月26日です。
その完成を記念して、大橋公園に記念碑が建っています。
「渡り初め 若戸大橋 爽やかに」大野伴睦の句碑
(大野伴睦は若戸大橋の建設に大変力を尽くされました)

「若戸博記念  1962 秋」

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大野伴睦の句碑
大野伴睦の句碑

若戸博記念碑
若戸博記念碑

このページの作成者

戸畑区役所総務企画課
〒804-8510 北九州市戸畑区千防一丁目1番1号
電話:093-881-0039 FAX:093-881-2204

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