「8月9日 平和祈念式典に寄せたメッセージ」
私たちが通う思永中学校の正門の横に1本の桜の木が植えられています。春には満開の桜を見て笑顔になり、夏にはその木陰でほっと息をつきます。何気ない毎日のなかで、私たちにそっと寄り添ってくれるこの桜は「嘉代子桜・親子桜」と呼ばれる桜です。
昭和20年8月9日。長崎に原子爆弾が投下され、数十万の人々が命を奪われました。今もなお、後遺症に苦しむ人がいます。爆心地に近い城山(しろやま)国民学校では、学徒報告隊員として働く、私たちと変わらない年齢の多くの女学生たちが犠牲となりました。
「嘉代子桜」の名前の由来となった林嘉代子さんも、友人とともに原子爆弾の犠牲となりました。15歳でした。
戦後、嘉代子さんの母、林津恵さんが、慰霊と平和への願いを込め、嘉代子さんと友人がなくなった城山(しろやま)小学校の校庭に桜を植えました。その桜は「嘉代子桜」と呼ばれるようになり、毎年春に花を咲かせているそうです。
私がこのことを知ったのは、小学校6年生の時です。原子爆弾が投下され、何が起こったのか。どれだけの人が犠牲になったのか。亡くなった人たちはどんな人たちだったのか。命を取りとめた人たちがそのあと、どうなったのか。当時のことを、自分でも調べていきました。
そして、嘉代子さんの命を奪った原子爆弾が、私たちの町、小倉に投下される予定だったことを知ったとき、これは他人(ひと)ごとではない、ということに気づきました。
8月9日の曇り空が、あの日、もし真っ青に晴れていたら、小倉の町に生きる人たちの命が奪われていた、私に繋がる誰かが、嘉代子さんと同じように命を奪われていた、と考えると他人(ひと)ごととして傍観できることなど、何一つありませんでした。
今、私が生きてこの場に立っていることは決して当たり前のことではありません。
この平和を守るために、何が起こったのか、この悲しみをどんな思いで受け止め、生きてきたのか、人から聞くだけでなく、自分の手で深く、深く、知ろうとすることが大切だと思います。私たちの世代が自ら行動することが大切なのだと思います。
平成21年4月6日、北九州市で初めて「嘉代子桜」に由来する桜が植樹されました。
「嘉代子桜・親子桜」と名付けられたこの桜を、北九州市でも受け継ぎ、広く伝えていこうという、強い思いのこもった一歩です。
今度は私たちが、この思いを受け継ぎ、次の世代に伝える一人として一歩を踏み出したいと思います。「嘉代子桜・親子桜」に込められたたくさんの平和への思いを、絶やすことなく伝えていきたいと思います。
令和5年8月9日
北九州市立思永中学校
重松 勇斗