ページトップ
印刷用ページ

小倉北区の歴史

小倉城

 1632年、細川氏が熊本に転封され、播磨国明石の譜代大名である小笠原忠真が入国しました。これは、当時外様大名ばかりであった九州の主要な地である豊前を固めるための将軍家光の策といわれています。
 江戸時代末期、尊王攘夷派の長州征伐のため小倉藩に集結していた諸藩が、将軍家茂の死去を契機に引き上げ、小倉藩は小倉城を自焼して香春に退きました。

中世・戦国時代以降の小倉北区の歴史

小倉駅とモノレール
中世・戦国時代 現在の小倉城の地に城が築かれる
1587年 豊臣秀吉が九州平定
1600年 関ヶ原の戦いの後、細川忠興が入国
1632年 播磨国明石城主の小笠原忠真が入国
1866年 長州藩との戦いで小倉城を自焼
1871年 廃藩置県により豊津県を経て、小倉県が誕生
1876年 福岡県に合併される
1898年 第12師団司令部開設 翌年森鴎外が軍医部長として赴任

 明治維新を迎えると、廃藩置県にそなえて小倉に鎮台(軍隊)が設置され、さらに歩兵第十四連隊の発足と続き小倉は軍都の性格を帯びてきました。1900年には市制がひかれて小倉市となりました。  第二次世界大戦後、連合軍が進駐して大手町の小倉陸軍造兵廠跡地などを接収しましたが、1959年までに山田弾薬庫(1972年返還)を除いて返還されました。

 1963年、五市(門司・小倉・若松・八幡・戸畑)が合併し北九州市小倉区は、”軍都小倉”から”商都小倉”として成長していきました。1975年、小倉北区・小倉南区に分かれ、山陽新幹線も開通、その10年後には日本初の都市モノレール小倉線も開通するなど小倉は北九州市の都心として大きく発展しています。

小倉市制施行からの歴史

1900(明治33)年 市制施行で小倉市となる
1906(明治39)年 小倉商業会議所(今の商工会議所)創立
1911(明治44)年 門司~大蔵間電車開通
1913(大正2)年 上水道通水
1915(大正4)年 小倉鉄道、東小倉~上添田間開通
1925(大正14)年 4月28日板櫃町を合併
1927(昭和2)年 4月1日足立村が小倉市へ合併
1933(昭和8)年 陸軍造兵廠移転、小倉工廠設立 (7年後、小倉陸軍造兵廠に改名)
1937(昭和12)年 9月1日企救町が小倉市へ合併
1941(昭和16)年 4月1日西谷村と中谷村が小倉市へ合併
1942(昭和17)年 5月15日曽根町が小倉市へ合併
1945(昭和20)年 敗戦。米軍第二十四団が進駐
1948(昭和23)年 9月10日東谷村が小倉市へ合併。第一回小倉競輪を開催
1949(昭和24)年 9月1日千仏内の蔵の一部を京都郡椿市村に分割
1950(昭和25)年 市制50周年記念行事施行
1952(昭和27)年 小倉市役所市庁舎焼失
1954(昭和29)年 4月1日田代の一部を八幡に分割。新庁舎落成
1956(昭和31)年 市立病院病棟新築落成
1958(昭和33)年 国鉄(今のJR)小倉駅が現在地に移転
1959(昭和34)年 大手町(造兵廠跡地)接収解除。小倉城天守閣の復元。タコマ市と姉妹都市提携
1960(昭和35)年 市制施行60周年記念『伸びゆく北九州小倉大博覧会』開催
1963(昭和38)年 五市(門司・小倉・若松・八幡・戸畑)合併。北九州市小倉区誕生
1972(昭和47)年 山田弾薬庫(日本で最大規模米軍弾薬庫)返還
1974(昭和49)年 小倉が北区と南区に分かれ、七区制がスタート
1975(昭和50)年 山陽新幹線開通
1985(昭和60)年 都市モノレール小倉線開通
1990(平成2)年 紫川マイタウンマイリバー整備事業開始
1999(平成11)年 小倉北区役所新庁舎完成(室町から大手町に移転)
2000(平成12)年 小倉市制施行100周年
2002(平成14)年 小倉城築城400周年

このページの作成者

小倉北区役所総務企画課
〒803-8510 北九州市小倉北区大手町1番1号
電話:093-582-3339 FAX:093-581-5496

メールを送信(メールフォーム)

このページについてご意見をお聞かせください

お探しの情報は見つかりましたか?

【ご注意】

  • 業務に関するお問い合わせなど、お答えが必要な場合は直接担当部署へお願いします。
    上の「メールを送信(メールフォーム)」からお問い合わせください。
    (こちらではお受けできません)
  • 住所・電話番号など個人情報を含む内容は記入しないでください。

小倉北区の概要

  • 組織から探す
  • 区役所
  • 施設
  • 市政・区政相談
  • 市政・区政提案箱
  • 北九州市コールセンター 093-671-8181 年中無休 8時から21時