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板櫃川の戦い

板櫃川の戦い看板画像

 奈良に都が移って20年余りが経つと、全国で伝染病が流行し、天災が起きるなどして世の中は不安になっていきました。

 大宰府を治めていた藤原広嗣は、これらが朝廷の役人の責任だと考え、740年(天平12年)、九州で戦いを起こしました。それに対して、17,000人の朝廷軍は関門海峡を渡り、板櫃川を挟んで10,000人の広嗣軍と向かい合いました。この板櫃川での戦いは朝廷軍が大勝し、広嗣はつかまって殺されました。

 聖武天皇が大仏造りを命じたのは、この戦いの3年後である743年(天平15年)のことでした。

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