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森鷗外・松本清張

清張記念館と森鷗外胸像

 明治の文豪・森鷗外、北九州出身の芥川賞作家・松本清張。小倉を題材にした作品も多数残している二人の作家について、観光名所も交えながら紹介していきます。

森鷗外

森鴎外

 森鷗外は、明治時代に活躍した作家です。軍医でもあった鷗外は、1899(明治32)年、小倉の陸軍第12師団の軍医として小倉に赴任してきました。小倉に在住した間、鷗外は洋書の翻訳や通称「小倉日記」と呼ばれる日記をつけていました。
 「小倉日記」の中には、小倉にいた時の鷗外の様子や、当時の小倉の人々の生活の様子が詳しく書かれています。また「独身」、「鶏」などの作品は鷗外の小倉時代がモデルになっています

森鷗外旧居(鍛冶町1丁目)

森鴎外旧居

 鷗外は、鍛冶町の家には約1年6ヶ月住み、その後京町に引っ越しました。
 この家は、明治時代の町屋形式の家屋で建築物としても貴重なものです。鷗外の小倉時代を描いた作品の中でも、「鶏」にはこの家の間取りなどの記述があります。

鷗外橋(水鳥の橋)

森鴎外文学記念碑

 森鷗外からその名がついた鷗外橋は、水鳥が翼を大きく広げた美しい形をしています。

 橋の西側には、「森鷗外文学記念碑」があり、碑文は「小倉日記」など鷗外の短編小説などから選ばれています。

森鷗外 略年表

年号 西暦年 出来事
文久 2年 (1862) 1月19日、石見国鹿足郡津和野町で生まれる。 本名、林太郎。父・静男、母・峰子。
明治 14年 (1881) 19歳。 7月東京大学医学部卒業。12月陸軍に入り、陸軍軍医副(中尉相当)に任ぜられ、東京陸軍病院治療課勤務。
  17年 (1884) 22歳。ドイツ留学、明治21(1888)年に帰国。
  32年 (1899) 37歳。小倉赴任。
  35年 (1902) 40歳。小倉から東京に戻る。
大正 11年  (1922) 死去。(享年60歳)

松本清張

松本清張

 松本清張は、北九州市出身で、「点と線」、「眼の壁」などで社会派推理小説という新分野を築いた作家です。半生を過ごした北九州を舞台にした作品も数多く残されています。

 清張の自伝的小説である「半生の記」は小倉での生活の様子が当時の風景とともに描かれています。
 芥川賞受賞作の「或る『小倉日記』伝」も、北九州時代に書かれたものであり、清張にとって北九州時代は作家活動の原点と言えるでしょう。

松本清張記念館

松本清張記念館

 社会派推理小説をはじめ、様々なジャンルにわたって活動を続けた清張の作家活動を紹介する日本唯一の記念館。
 氏の書斎・書庫・応接間を忠実に再現した展示物をはじめ、小説「火の路」を題材にした推理劇場で氏の「人と作品」に触れられます。

松本清張 略年表

年号 西暦年 出来事
明治 42年 (1909) 12月21日、福岡県企救郡板櫃村(現、北九州市小倉北区)で出生。 父・峯太郎、母・タニ。
昭和 3年 (1928) 19歳。小倉の高崎印刷所に就職。
  12年 (1937) 28歳。朝日新聞九州支社の広告版下を手がけ、14年広告部嘱託、15年雇員、17年33歳で正社員となる。
  27年 (1952) 43歳。「或る『小倉日記』伝」を『三田文学』に発表、翌年、第28回(27年度下半期)芥川賞を受賞。
  28年 (1953) 44歳。11月朝日新聞東京本社に転勤。
  31年 (1956) 47歳。朝日新聞社退社、作家生活に入る
  33年 (1958) 49歳。「点と線」「眼の壁」がベストセラーになり、社会派推理小説ブームおこる。
平成 2年 (1990) 81歳。社会派推理小説の創始、現代史発掘など多年にわたる幅広い作家活動によって、89年度朝日賞受賞。
  4年 (1992) 8月4日死去。(享年82歳)

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