ページトップ

塚・石

更新日 : 2022年6月30日
ページ番号:000009849

庚永二年銘自然石梵字板碑荘

概要  康永二年(1343)に造立された自然石の梵字板碑、石質は結晶質石灰岩である。
 碑面の上部に阿弥陀をあらわす梵字が彫られ、その左下隅に「康永第二天暦3月13日」の年紀を刻んでいる。梵字、年紀のほかに文字が刻まれていないので、誰によって造立されたか、またその目的が死者追善供養あるいは逆修供養の何れかも明らかでないが、中世における信仰形態をうかがい知ることのできる好資料である。
 またこの板碑には、 昔この地方には定められた升が無く困っていた。そこである村人が升を決めてもらおうと鎌倉に上り、3年間幕府に訴え続けた。しかし村人は目的を果たさぬまま死んでしまった。このことを聞き及んだ将軍は不憫に思い早速升を決めさせた。これを喜んだ村人たちはお祝いをし、その記念に石碑を建てたという伝説が古くからあり、「升塚」の名で地域住民に畏敬されている。
【文献:北九州市の文化財】

市指定文化財
所在地 北九州市小倉南区西水町6番8号
駐車場
アクセス 高坊二丁目バス停より徒歩15分
料金 無料
庚永二年銘自然石梵字板碑荘の写真
庚永二年銘自然石梵字板碑荘の地図

荘八幡宮鈴石

概要  平安時代の初期、第56代清和天皇の御宇(みよ)、貞観元年(859)豊前国の宇佐八幡宮の御分霊を京都山城国の男山に御勧請の時(後の石清水八幡宮の興り)、貫の此処鈴石(すずいわ)と呼ばれる大石の上に御神輿が一夜駐輿せられた。荘八幡神社(しょうはちまんじんじゃ)が誕生する遥か以前に鈴石様と称され、土地の人々は勿論のこと近郷近在の崇敬を集めていた。
 この鈴石様には、壽命(いのち)の神・健康の神として、不老長壽の御神徳を持つ石長比賣(いわながひめ)という媛神様が宿られていると信ぜられ、また陽石(男石)・陰石(女石)とで一体となっていいることから古来より”縁結び”を始めとして、夫婦円満(夫婦和合)、安産、家内安全、商売繁昌、願望成就といった信仰を受け、現在に至るまで祈願をされる参拝者が後を断たない。

【荘八幡神社社務所誌】
所在地 北九州市小倉南区中貫本町1番
駐車場 有(10台:無料) 
アクセス JR下曽根駅から【徒歩30分、車8分】都市高速長野ランプから10分
料金 無料
荘八幡宮鈴石の写真
荘八幡宮鈴石の地図

帝踏石

概要  門司行橋線から朽網西の住宅地へ入り、庚申谷(こうしんだに)踏切を越えるといきなり大きな岩の塊が見えてくる。一枚岩ではなく四、五個の大きな塊が連なっている。中央の岩の上に石碑が建てられ、表には「帝踏石」裏には昭和8年に碑が建立された事や景行(けいこう)天皇(日本武尊やまとたけるのみことの父)が土蜘蛛討伐の時に石占いをしたことが日本書紀に書かれてあり、それがこの石の名前の由来であるといった内容の事が刻まれている。
 ちなみに、「土蜘蛛」とはその当時天皇側に刃向かっていた民族の蔑称、本当の蜘蛛ではありません。
 なお、「危ないので、石の上に登らないように」との注意看板あり。
所在地 北九州市小倉南区朽網西二丁目30番
駐車場
アクセス JR朽網駅から【徒歩10分、車5分】都市高速長野ランプから15分
料金 無料
帯踏石の写真
帯踏石の地図

堀越の十三塚

概要 志井公園、アドベンチャープール裏の小高い丘の上に、高さ35~111センチメートルのこんもりとした塚が南北67.8メートルの間に一列に並んでいる。残念ながら道路で分断され、現存するのは12基。中央の塚に石碑が立っているが、文字は風化してほとんど読めない。
塚については、戦国時代の堀越城主と部下12名の墓だとする説や、境界指標、鎮護祈念や仏教の十三仏信仰による、などで定説はない。
【文献 北九州市文化財】

県指定有形民俗文化財
所在地 北九州市小倉南区大字堀越364番地
駐車場
アクセス モノレール企救丘駅下車徒歩10分 JR日田彦山線志井公園駅下車7分 アドベンチャープール 裏手
料金 無料
堀越の十三塚の写真
堀越の十三塚の地図

このページの作成者

小倉南区役所総務企画課
〒802-8510 北九州市小倉南区若園五丁目1番2号
電話:093-951-1024 FAX:093-951-5553

メールを送信(メールフォーム)

このページについてご意見をお聞かせください

お探しの情報は見つかりましたか?

【ご注意】

  • 業務に関するお問い合わせなど、お答えが必要な場合は直接担当部署へお願いします。
    上の「メールを送信(メールフォーム)」からお問い合わせください。
    (こちらではお受けできません)
  • 住所・電話番号など個人情報を含む内容は記入しないでください。