北九州市人権推進センターがお送りする「明日への伝言板」です。
今日は、北九州市教育委員会が平成24年度に募集した人権作品の中から、
北九州市八幡東区(やはたひがしく)の小学六年生、藤田悠(ふじたゆう)くんの詩を紹介します。
題は『ぼくの耳、みんなの命』です。
『ぼくの耳、みんなの命』
北九州市立花尾(はなお)小学校六年 藤田 悠
ぼくは補聴器を使っている。
テレビを見ていても
何と言ってるか分からない時がある。
でも、この耳を悪く言われたり、
からかったりされたことはない。
それはみんなが
ぼくを「耳の悪い人」ではなく、
「クラスの一人」ととらえているからだ。
それはとてもうれしい。
でも他の学校では、いじめが起こり、
自殺まで起きている。
ぼくは二才のころ大病にかかり、
それでも、今を生きている。
だからこそ、命の重みはよく分かる。
いじめはやってはいけないものなんだ。
みんな同じ命なのだから。
いかがでしたか。
悠くんの学校には、悠くんのことを「耳の悪い人」ではなく
「クラスの一人」として捉(とら)えてくれる友達と、
そのことをとてもうれしく思っている悠くんがいます。
でも他の学校では、障害を理由にいじめられている子も…。
悠くんは、こう訴えます。
「いじめはやってはいけないものなんだ。みんな同じ命なのだから」。
幼いころ大病を患(わずら)い、重度の難聴になった中村清美(なかむらきよみ)さんというミュージシャンがいます。彼女にとって、補聴器は自分だけの特権であり、
手術の傷痕(きずあと)は一生懸命に生きようとした勲章(くんしょう)。
聞こえにくいという理由でいじめに遭いながらも、明るく前向きに生きてきました。
小さいころから歌うことが大好きで、「自分の声も音程も分からない」という困難を乗り越え、
手話を使った歌とダンスで音楽活動を続けています。
同じように、2歳のころ大きな病気にかかりながら一命を取りとめ、
今を生きている悠くんだからこそ、命の重みがよく分かるし、
みんな同じ命なのだと感じています。軽い命なんて一つもない。
そんな悠くんの思いをしっかり受け止めたら、今よりもっと人に優しく、
そして毎日を大切に生きられそうな気がしませんか。
それでは、また。
今日は、北九州市教育委員会が平成24年度に募集した人権作品の中から、
北九州市八幡東区(やはたひがしく)の小学六年生、藤田悠(ふじたゆう)くんの詩を紹介します。
題は『ぼくの耳、みんなの命』です。
『ぼくの耳、みんなの命』
北九州市立花尾(はなお)小学校六年 藤田 悠
ぼくは補聴器を使っている。
テレビを見ていても
何と言ってるか分からない時がある。
でも、この耳を悪く言われたり、
からかったりされたことはない。
それはみんなが
ぼくを「耳の悪い人」ではなく、
「クラスの一人」ととらえているからだ。
それはとてもうれしい。
でも他の学校では、いじめが起こり、
自殺まで起きている。
ぼくは二才のころ大病にかかり、
それでも、今を生きている。
だからこそ、命の重みはよく分かる。
いじめはやってはいけないものなんだ。
みんな同じ命なのだから。
いかがでしたか。
悠くんの学校には、悠くんのことを「耳の悪い人」ではなく
「クラスの一人」として捉(とら)えてくれる友達と、
そのことをとてもうれしく思っている悠くんがいます。
でも他の学校では、障害を理由にいじめられている子も…。
悠くんは、こう訴えます。
「いじめはやってはいけないものなんだ。みんな同じ命なのだから」。
幼いころ大病を患(わずら)い、重度の難聴になった中村清美(なかむらきよみ)さんというミュージシャンがいます。彼女にとって、補聴器は自分だけの特権であり、
手術の傷痕(きずあと)は一生懸命に生きようとした勲章(くんしょう)。
聞こえにくいという理由でいじめに遭いながらも、明るく前向きに生きてきました。
小さいころから歌うことが大好きで、「自分の声も音程も分からない」という困難を乗り越え、
手話を使った歌とダンスで音楽活動を続けています。
同じように、2歳のころ大きな病気にかかりながら一命を取りとめ、
今を生きている悠くんだからこそ、命の重みがよく分かるし、
みんな同じ命なのだと感じています。軽い命なんて一つもない。
そんな悠くんの思いをしっかり受け止めたら、今よりもっと人に優しく、
そして毎日を大切に生きられそうな気がしませんか。
それでは、また。