人権を考える5分間のラジオ番組「明日への伝言板」

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  • 2018年11月05日(月)放送

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人の立場
今日は、福岡法務局と福岡県人権擁護委員連合会主催の平成二十九年度全国中学生人権作文コンテスト福岡県大会で福岡県弁護士会賞を受賞した、北九州市小倉北区の中学三年生、三宅瑠夏さんの作文『人の立場』を紹介します。この作文は一部省略して朗読します。

去年の冬、私の母は足を悪くし外出には車いすを使いました。私が車いすを押したのですが、歩く時は気にならない段や坂、物がとても厄介に感じられました。
ある日、私と母は用事があって博多に行きました。
用事が終わり建物から出ると、人の渋滞に飲み込まれてしまいました。私は車いすだから少しはよけてくれると思っていましたが、後ろから遠慮なく人が押してきました。「押さないでください」と言っても聞いてくれず、人ごみを抜け出した時は最悪の気分でした。
けれど、それ以上に嫌な気分になったことがあったのです。迎えの車を待っていた時、私はやけに通行人の人と目が合うなあと思いました。
ところが、その人たちの視線は、子どもだけでなく大人までも、車いすの母を見ていたのです。私の心は説明のできない思いでいっぱいになりました。なぜ、そんな哀れむような目で、好奇の目で、見ているのか、と怒りすら覚えました。母は笑っていましたが、ただ車いすというだけで多くの人から見られることが私は本当に嫌でした。
その日、良かったこともありました。階段では、何人かの人が車いすを持ち上げてくれました。いろいろな人が、見知らぬ私たちに手をさしのべてくれ、温かな心になれました。
今は母も元気になり車いすを使いませんが、私には良い経験になりました。車いすだから、よけてくれると思ったのも、ちょっと違ったかなと今では思います。立場が変わったからこそ、気がつくこと。私は車いすを押すことで、初めて気づかされ、考えることができました。何気なく、見てしまっていた車いすの人、体が不自由な人。見られる相手の心を考えることは今までありませんでした。でも、今は違います。ただ見るのではなく手をさしのべられれば、私はようやく両方の立場に立てる人になれたのではないかと思います。

いかがでしたか。
私たちも人の立場になって手を差し伸べる、そんな思いやりの心を持ちたいですね。
では、また。