人権を考える5分間のラジオ番組「明日への伝言板」

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  • 2020年11月10日(火)放送

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「ふつう」の多数決
今日は、福岡法務局と福岡県人権擁護委員連合会主催の令和元年度全国中学生人権作文コンテスト福岡県大会で最優秀賞を受賞した、飯塚市の中学一年生の作文『「ふつう」の多数決』を紹介します。この作文は一部省略して朗読します。

「ふつう」って何だろうと、小さいときから思うことが多かった。一般的な意見なんてものは、所詮は多数決で、だから、物事の本質ではないはずなのに。
女子は女子らしく、男子は男子らしく。これが「ふつう」なら、「私が私らしく」あることがなぜ「ふつう」ではなくなるのだろう。
スカートをはいて、「私」という一人称を使うのが「女子らしい」のなら、普段はズボンをはいて、日常的な会話で「僕」という一人称を使う私は、一般的な意見――あくまで多数決だが――では、「ふつう」ではないのだろう。
学校の制服は、女子用で、もちろんスカートだ。あまり嬉しいことではない、できれば男子の着ている制服が着たいが、私の戸籍の性別は女で、仕方のないことだと思う。
私は、できることなら男子になりたいけれど、それを学校で言うのは、あまりにリスクが大きい。イジメられるかもしれないし、不必要に優しくされるかもしれない。けれど、人間は一人一人同じようにはできていないのだから、言葉にしないと、私の「ふつう」とあなたの「ふつう」が違っているということすらも分からない。分かっていないことが分からない限り、分かるには絶対到らない。だから、私は今、この作文を書いている。
もし、あなたがみんなと違うからという理由で、イジメられているとすれば、それはイジメている人の「ふつう」があなたの「ふつう」と違っただけである。「ふつう」はただの多数決である。
自分を表現することは自由で、基本的人権の一つだ。せっかく表現の自由があるのだから、自分の「ふつう」と誰かの「ふつう」の違うところを見つけるために、自分の「ふつう」を表現してみたら良いと思う。
私も公の場ながら、最後に一つ言わせてもらいたい。
僕はこのままの僕でありたい。

いかがでしたか。互いの価値観を尊重し、多様性を認め合って、誰もが自分らしく生きていける社会にしていきたいものですね。
では、また。