平成十八年八月二十五日、福岡市の海の中道大橋で、幼い三人の命が飲酒運転事故によって奪われました。事故から十九年がたった令和七年、母親の大沼かおりさんは講演活動を始めました。
「伝えたい」という思いはずっとあったものの、「自分の生活を立て直して、人前で話せるようになるまでに、二十年近い時間がかかった」と大沼さんは振り返ります。事故の後に生まれた四人の子どもたちの子育てが一段落したことも、大きかったと言います。
大沼さんが講演で伝えているのは、加害者への憎しみや恨みではありません。
事故の後、大沼さんは何度も自分を責め、「生かされている意味は何か」と問い続けてきました。そんな大沼さんが、ずっと大切にしてきた思いがあります。
「事故が起きる前と同じように、子どもたちの成長を愛おしく、幸せと感じる自分でいたい。いつも子どもたちと見ていた夕日が大好きで、そんな夕日を見て、やっぱりきれいだなと思える自分でいたいと思っていました」と、大沼さん。
そして、ようやく自分なりの答えにたどり着いたと言います。
「三人の子どもたちが、この地上に確かに生まれ、深い愛の中で生きたことを伝えるため。その命を語り継ぎ、未来へつないでいくために、私は生かされたのだと思えるようになったのです。」
ここまでの歩みの中で、そして社会復帰した今も、大沼さんにはさまざまな人との出会いがありました。
「三人が命に代えて導いてくれた出会いだと思っています。三人を抱きしめることはできないけれど、出会った人たちとのつながりを、これからも大事にする自分でありたい」と、語ってくれました。
事故から二十年。大沼さんは、今の思いを詩にしました。題は『道しるべ』。詩の終わりには、こんな言葉がつづられています。
「私は、『そんな日が本当に来るのだろうか』と
何度も自分に問い続けてきた。
苦しみも、悲しみも、今も消えることはない。
それでも、暗闇の中で生き続けた先に、
小さな光を見出すことができた。
私の苦しみや悲しみが、
いつか誰かを支える力になるのなら
この苦しみも悲しみも生かされる。
私が歩んできた人生が、
生きる希望を見失いそうになっている誰かの心に
寄り添うことができるのなら。
今、苦しみ、悲しみの中にいる人たちの
道しるべに、私はなりたい。」
では、また。



