二〇二五年十一月八日、ハンセン病の父親を持ち、ハンセン病家族訴訟原告団の団長を務めた林力さんが、百一歳で亡くなられました。その人生は、差別や偏見との闘いの連続だったそうです。
林さんは小学六年生の時、父親が療養所に隔離されたことで人生が一変します。友達からは心ない言葉を浴びせられるようになり、父親から届く手紙には「父のことは隠し続けなさい」とつづられていました。苦しみと葛藤の中、林さんは父親の存在を隠して生きていかなくてはなりませんでした。
ハンセン病は「らい菌」による感染症で、手足などの神経が麻痺し、皮膚にさまざまな変化が起こる病気です。感染力は弱く、一九四〇年代には治療法も確立されていましたが、「らい予防法」によってハンセン病患者は長きにわたり強制隔離されてきました。
一九九六年に「らい予防法」が廃止されると、隔離政策にも終止符が打たれます。しかしその後も、元患者とその家族は差別や偏見に苦しみ続けてきました。
父親が隔離されて以来、長い間沈黙を守ってきた林さんですが、大人になり、教員として同和教育に携わる中で気持ちに変化が生じます。差別をなくすために同和教育に取り組んでいるのに、差別を恐れて父親のことは隠している。そんな矛盾に直面したことで「父のことを恥として隠してきたことこそが恥だった」と気づき、父親のことを公表する決意をします。林さんが五十歳の時でした。
それから四十年以上がたった二〇一六年、林さんは元患者の家族と共に、「患者本人だけでなく、その家族も差別や偏見による被害を受けてきた」としてハンセン病家族訴訟を起こし、二〇一九年に勝訴。しかし、裁判に勝ってなお、差別を恐れて本名を公表できない家族が多くいます。
元患者の高齢化が進み、ハンセン病の歴史が忘れられつつある中、林さんは生前こう訴えていました。「分からないということから差別は生まれる」と。
林さんが言われていたように、知らない・分からないという無関心が、無意識のうちに人を傷つけてしまう。そうしたことから、差別や偏見は始まるのかもしれません。
ハンセン病の歴史の中で林さんが人生を懸けてつないでくれたバトンを、今度は私たちが次の世代へつないでいかなければならない。差別や偏見をなくすために必要なことは、正しい知識を身に付け、理解すること。まずはそこから始めてみませんか。
では、また。



