特集北九州市ふるさとかるた |1ページ|2ページ

喜多丘家が選んだお気に入りの札を紹介します

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農民の 命をつないだ 猿喰新田

さるはみしんでん

 お父さんは猿喰新田の札が好きだな。現在の門司区にあたる大里村の庄屋だった石原宗祐が私財を投げ出し、海だった猿喰の一帯を干拓したのが猿喰新田なんだ。その理由はね、18世紀前半の享保の大飢饉にあるんだ。大里で100人以上、小倉藩全体で約4万人もの餓死者が出たことに心を痛めた宗祐が開発を決意。海を干拓する工事はとても難しかったけど「わしは一歩も退かん」と強い決意で新田を完成、村人を救ったんだ。今は水田としては使われていないけど、海水を抜くために作られた汐抜き穴が2カ所、現存している。これは、地域の人たちが定期的に清掃を行いながら、大切に保存しているからなんだよ。

人情が 旦過市場の かくし味

たんがいちば

 私はこの旦過市場の札ね。大正時代に玄界灘で取れた魚を空き地で売ったのが市場の始まりで、それから市民の台所として発展し、今では120以上のお店があるのよ。魚屋さんや八百屋さんなど生鮮食品の店が多く、今日はどんな食材と出合えるのかな、ってワクワクするわ。店の人から旬のお勧めを聞いたり、おいしい食べ方を教わったりするのも対面販売をしている市場ならではの魅力でしょうね。最近では若い人も増えたみたい。安い・新鮮・おいしいものがたくさんそろうというだけではなく、店の人との触れ合いがこの市場の楽しみ方だって知られてきたのね。母さんはね、宝物を探しに行く気分で旦過市場に出掛けているのよ。

凛とたつ 東田高炉 技の街

ひがしだだいいちこうろ

 わしは当然この東田第一高炉の札じゃな。北九州市といえば「ものづくり」のまち。その第一歩を踏み出したのが、この旧官営八幡製鐵所の東田第一高炉じゃった。明治34年にこの高炉に火が入り、その火にひかれて全国から多くの人が集まったこと。これはこのまちが発展してきた原動力の一つと言えるじゃろうよ。現在の高炉は再建されたモニュメントじゃが、同時期に建てられた旧本事務所は今も当事のままの形で残っておる。そしてこの旧本事務所は、世界遺産の候補としてユネスコの暫定リストに登録されておるほど価値あるものなんじゃ。残された遺産や受け継いだものづくりの伝統は、このまちの大切な宝物じゃな。

殿様も ちょっといっぷく 銀杏屋で

たてばぢゃやいちょうや)

 私はこれ。立場茶屋銀杏屋の札。ここにあるイチョウの木が秋になって黄色く染まった姿を見たときは本当に感動したわ。それは茶屋の名前の由来になるほど立派なんだから。もともとは長崎街道の黒崎宿と木屋瀬宿の間にあった休息所で、参勤交代の諸大名やお奉行たちも立ち寄ったらしいわよ。遠山の金さんのお父さんや伊能忠敬もこの茶屋で一休みしたという記録が残っているのよ。この中にある1部屋が「上段の間」といって、ほかの部屋より1段高くなっているの。お殿さまのような偉い人が使うための部屋で、長崎街道ではここにしか残ってないんですって。散歩をするにも歴史を知るのにも、本当に良い場所ね。

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