今から四十八年前、中学一年生の時に新潟から北朝鮮に拉致された横田めぐみさん。毎年十月には、地元の新潟市内で「横田めぐみさんとの再会を誓うチャリティーコンサート」が行われています。令和六年には、帰国を果たせないまま六十歳の還暦を迎えためぐみさんの誕生日当日に開催。拉致被害者でもあり北朝鮮でめぐみさんと過ごしたこともある曽我ひとみさんや同級生らが思い出を語るなどして、拉致問題の一日も早い解決を訴えました。
主催する「横田めぐみさんとの再会を誓う同級生の会」の代表、池田正樹さんにお話を伺いました。
「めぐみさんとは、小学六年生から同じクラスでした。明るくて少しひょうきんなところもあるめぐみさんは、転校してきてすぐにクラスに溶けこみ、給食の時間に誰も話さずシーンとしていると、必ず話題を提供してくれて、友達の笑顔を見て、自分も喜ぶ。そんな子でした」と池田さん。
小学校では合唱部で、卒業の謝恩会では「流浪の民」という合唱曲のソロパートを任されるほど上手だったそうです。めぐみさんが歌ったのは、「慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり」という部分。「故郷から追放されたジプシーが、眠りの中で楽園を夢見る」という歌詞が、突然ふるさとを奪われためぐみさんの境遇と重なり、胸を打ちます。
池田さんは言います。
「中学のバドミントン部でも一緒で、あの日も、拉致されるほんの十五分前まで、隣のコートで一緒に練習してたんです。めぐみさんは新潟市の強化選手に選ばれてがんばっていました。けれどそれが、私が見た最後の姿でした…」
いかがでしたか。
「自分の子どもや家族、友達のことだったら、放ってはおけないはずです」という池田さん。活動する中で出会った子どもたちからは、「次こそは、めぐみさんが帰ってきて、お帰りなさいの会にしたい」という声も聞かれるそうです。
政府が認定した拉致被害者の家族で、存命する親世代は横田早紀江さんただ一人になってしまいました。拉致問題という決してあってはならない人権侵害を風化させることなく、私たち一人一人が自分事として考えていかなくてはなりません。
今日は、小学六年生だっためぐみさんの歌声を、最後にお聴きください。
では、また。



