ページトップ

地名の由来

更新日 : 2022年6月29日
ページ番号:000010165

地名

地名

 「とばた」という地名は、奈良時代に書かれた「筑前風土記」、「日本書記」、「万葉集」の中で、鳥旗(とりはた)や名籠屋(なごや)の大済(おおわたり)、飛幡(とばた)という文で登場しています。

 現在使われている「戸畑」という文字は758(天平宝字2)年に書かれた万葉集の中に記されている「飛幡」が由来といわれています。

 「戸畑」の文字自体は、1396(応永3)年につくられた麻生氏の所領目録「惣諸浦塩浜其外所々目録(そうしょうらしおはまそのほかしょしょもくろく)」に「戸畑浦」と書かれており、 1595(文禄4)年につくられた「筑前国田畠之高村々指出之帳(ちくぜんのくにでんばたのたかむらむらのさしだしのちょう)」や 1812(文化9)年に伊能忠敬が戸畑の測量を行ったときの日記にも「戸畑村」と書かれています。

 また、江戸時代の地図には河ば島(かばしま:中の島)、六朗島(ろくろうじま)、鼠島(ねずみじま)、葛島(かつらじま)、都島、俵子島(たわらこじま)、松ケ島(まつがしま)、ハタカ島などの島がありましたが、産業の発展とともに、海岸の埋め立てによって陸地になったり、洞海湾の航路拡張などで取り除かれてしまい、現在はその姿をみることはできません。これらの島の名前は、公園の名前などで残っているものもあります。

川と島

かばしま:明治時代の中の島。現在の若戸大橋の下付近に あった島で、戸畑で最初の工場ができた場所です。

1830年頃の戸畑古図

1830年頃の戸畑古図

 この地図は江戸時代中頃の戸畑村の古い地図です。地図の中には、田や畠(畑)などのほか、汐井崎(しおいざき)、牧山(まきやま)、天籟寺(てんらいじ)、アソウ、ミロク、沢見(さわみ)、山崎(やまざき)などの昔の地名が書かれています。この地図から、江戸時代の戸畑は、海と山に囲まれ、農業と漁業の静かな村だったと思われます。

本や歌に登場する戸畑
万葉歌碑

筑前風土記(一部抜粋)

 「彼(かしこ)より鳥旗に通う襖名(おきな)を岫門(くきと)と云う、鳥旗は小船を容る(いる)に堪えたり」

---ここから、鳥旗(現在の戸畑)に行く途中の入り江を岫門(洞海湾)と呼び、鳥旗は小船で行くことができる。

日本書紀(一部抜粋)

 「穴門(あなど)より向津野(むかつの)の大済(おおわたり)に至るまでを東門となし名籠屋(なごや)の大済を似て西門となし」

---穴門(山口県西部)から向津野の大済(山口県の油谷湾)を東門として、名籠屋(現在の戸畑)の大済(洞海湾)を西門とする。

万葉集(一部抜粋)

 「ほととぎす 飛幡(とばた)の浦にしく浪(なみ)の しばしば君を見むよしもがも」

---飛幡(現在の戸畑)の海岸に、たびたび打ち寄せる波のように、何度もあなたに会う方法があればいいのになぁ。 

万葉歌碑:

 夜宮公園にある万葉歌碑で、歌がきざまれています。

古い書物や歌によって、私たちの住んでいる「とばた」という地名が奈良時代(710~794年)からあったということがわかります。 

このページの作成者

戸畑区役所総務企画課
〒804-8510 北九州市戸畑区千防一丁目1番1号
電話:093-881-0039 FAX:093-881-2204

メールを送信(メールフォーム)

このページについてご意見をお聞かせください

お探しの情報は見つかりましたか?

【ご注意】

  • 業務に関するお問い合わせなど、お答えが必要な場合は直接担当部署へお願いします。
    上の「メールを送信(メールフォーム)」からお問い合わせください。
    (こちらではお受けできません)
  • 住所・電話番号など個人情報を含む内容は記入しないでください。

戸畑区のあゆみ

  • 組織から探す
  • 区役所
  • 施設
  • 市民のこえ(ご提案・ご相談)
  • 北九州市コールセンター 093-671-8181 年中無休 8時から21時