ページトップ
印刷用ページ
現在位置:トップページ > 八幡西区 > 区のみどころ > 歴史・文化 > 長崎街道黒崎宿 > 絹本著色黒田二十四騎画像

絹本著色黒田二十四騎画像

更新日 : 2023年6月15日
ページ番号:000010032

所在地 藤田一丁目10番44号 春日神社

市指定有形文化財(昭和50年3月22日指定)

 黒田二十四騎画像は江戸時代末期、福岡藩が初代藩主黒田長政の重臣であった24人の肖像を御用絵師の尾形洞霄(おがたどうしょう)に描かせ、春日神社に奉納したものです。
 これは、寛永年間(1624~1644年)、黒崎城主の井上周防之房(いのうえすおうゆきふさ)が領内の春日大明神(現在の春日神社)に黒田長政の霊をまつり、黒田大明神として毎年祭礼を行ったという由来によります。
 平成9、10年に24幅とも修理を行いました。

尾形洞霄(おがたどうしょう)
 福岡藩御用絵師尾形家の第七代。博多商人某の子。文化初年に尾形家の養子となり、文化8年(1811年)第6代洞谷の娘を妻とした。家督相続は文化13年26歳、このとき御納戸組絵家業となる。嘉永7年(1854年)に侍従様御画御相手、隠居の後も絵の御用を仰せつけられている。 
 はじめ大機を名乗り、尾形家の養子となった折りに幸吉、文化14年(1817年)さらに嘉六と改めた。他方、文化8年、狩野洞白愛信より「洞霄愛遠」を許されている。弘化2年(1845年)惣髪、60歳頃から聴松、嘉永7年(1860年)隠居後67歳頃から行年書きと共に聴松斎と款している。文久3年(1863年)没。享年73歳。

絹本著色黒田二十四騎画像写真1
絹本著色黒田二十四騎画像写真2

黒田二十四騎

黒田兵庫助利髙 黒田修理亮利則 黒田圖書助直之

井上周防之房 毛利但馬友信 栗山備後利安

小河傳右衛門信章 後藤又兵衛基次 黒田美作一成

久野四兵衛重勝 桐山丹波丹斎 野村太郎兵衛祐勝

野口佐助一成 吉田壱岐長利 村田出羽吉次

菅和泉正利 益田與介宗清 衣笠因幡景延

竹森石見次貞 堀平右衛門正儔 原伊豫種良

三宅若狭家義 林掃部直利 毛屋武蔵武久

このページの作成者

八幡西区役所総務企画課
〒806-8510 北九州市八幡西区黒崎三丁目15番3号 コムシティ5階
電話:093-642-1442 FAX:093-622-6463

メールを送信(メールフォーム)

このページについてご意見をお聞かせください

お探しの情報は見つかりましたか?

【ご注意】

  • 業務に関するお問い合わせなど、お答えが必要な場合は直接担当部署へお願いします。
    上の「メールを送信(メールフォーム)」からお問い合わせください。
    (こちらではお受けできません)
  • 住所・電話番号など個人情報を含む内容は記入しないでください。