茶屋の原一里塚跡
更新日 : 2023年6月15日
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所在地 茶屋の原二丁目5番
一里塚は、街道の両側に一里(通常約4キロメートル)毎に設けられた塚です。戦国時代の末期に既に存在していましたが、本格的に整備されたのは、慶長9年(1604年)二代徳川秀忠のときからです。
一里塚の上には榎、松などが植えられ、江戸日本橋から全国への里程(道程)を旅人に知らせる目印となりました。
小倉から長崎までの長崎街道にも一里塚が設けられ、八幡西区内には幸神、小嶺、茶屋の原、六本松(旧木屋瀬村はずれ)にありました。小嶺と茶屋の原の間は距離が一里に満たず、六合道と呼ばれていました。これは、アケ坂、石坂等の険しい坂道があったことを配慮したものと思われます。古老の話では、ここの一里塚には、松と椎の木が植えられていたと言われています。
この一里塚の石碑は、昭和57年に地元の郷土会によって建てられたものです。
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