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第16回 櫓山荘子ども俳句大会作品募集【終了しました】

更新日 : 2020年10月13日

第16回櫓山荘子ども俳句大会の作品募集は終了しました。

新型コロナウイルス感染症拡大のなか、北九州市内および近郊から小学校20校、中学校27校、合計47校から4,380句もの多くのご応募をいただきました。ご協力ありがとうございました。

入賞者の皆様には学校を通じてご連絡いたします。

 令和2年11月7日(土曜日)に生涯学習総合センターにおいて開催予定の表彰式は、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、賞状・楯の発送をもって表彰に代えることとなりました。受賞者および関係者の皆様方におかれましては、ご理解のうえご了承願います。

櫓山荘について

 かつて小倉藩の見張り番所櫓があったという櫓山(やぐらやま)に、大正9(1920)年、大阪の実業家 橋本豊次郎が自ら設計し、洋風の瀟洒な3階建て、延べ約100坪の住宅を建て「櫓山荘」と名付けました。広い敷地には回遊式庭園や野外ステージもあり、眼下には白砂の美しい海岸が広がる絶景の地でした。

 豊次郎は広い知識をもった文化人で、児童芸術運動などの様々な文化運動を援助し、また北九州を訪れた文化人たちを歓待したことから、「櫓山荘」は大正から昭和初期にかけて、文化人のサロンとして親しまれました。

 豊次郎の妻は、のちに戦後の女性俳人の第一人者といわれる橋本多佳子で、大正11(1922)年、「櫓山荘」で催された句会で、多佳子は当時の俳壇の大御所 高浜虚子と門下の女性俳人 杉田久女に出会い、虚子の「落椿投げて暖爐の火の上に」の一句に感銘を受け、俳句に惹かれ、久女から句作の指導を受け、「櫓山荘」で俳人としての一歩を踏み出しました。

 戦後、「櫓山荘」は取り壊されましたが、現在は公園として整備され、わずかに残る回遊式庭園と野外ステージの跡が、当時の面影を偲ばせています。

昭和初期の櫓山荘の原画
昭和初期の櫓山荘【原画 東郷啓子(橋本多佳子の三女)】

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